"AQUALUNG"
JETHRO TULLはデビューの頃、ジャズロックのように思われていた。当時、ニューポートジャズフェスティバルに出たからといってジャズというわけではないが(その頃ジャズフェスティバルは冠にジャズが付くだけで、ロックもブルースもなんでもありだった。)、リーダーのフルートを全曲に入れていたり、デビューアルバム”THIS WAS”(1968年)はただ1曲を除いてイアン・アンダーソンのてによるものだった。その1曲が、ジャズプレーヤーのローランド・カーク(サックスを1度に2本吹いてしまう人)のオリジナルが入っていたから自然とそうなったのだろう。”THIS WAS”自体、ジャズっぽい曲(十分ジャズといえる)、完全なブルース曲が混在している(1stアルバムによくあるパターンと思うが・・・。)からしょうがないと思うけど・・・。その後、”STAND UP”(1969年)”BENEFIT”(1970年)と発表し、1971年に4枚目”AQUALUNG”が発表された。
パーソネルは、
     イアン・アンダーソン:フルート、アコースティックギター、ヴォイス
     クライブ・バンカー:ドラムス、パーカッション
     マーティン・バレ:エレクトリックギター、デスカント・レコーダー
     ジョン・エバン:ピアノ、オルガン、メロトロン
     ジェフリー・ハモンド:ベースギター、アルガルト・レコーダー、オッド・ヴォイス  
1971年になれば・・・。そう、1970年にビートルズの「レット・イット・ビー」、サイモンとガーファンクルの「明日にかける橋」、ディープ・パープル「イン・ロック」、C,S,N&Y「デジャ・ヴ」、サンタナ「天の守護神」、ピンク・フロイド「原子心母」、ジョン・レノン「ジョンの魂」、ブラック・サバス「パラノイド」、デレク・アンド・ドミノス「いとしのレイラ」、レッド・ツェッペリン「3」、ローリング・ストーンズ「ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト」なんかが発表され、そしてジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリンの死。ロックは異端でもなんでもなく、マスメディアにも対応しながら、古いも新しいも関係なく、音楽のひとつのジャンルとして、アートとして出来上がっていた。だから、1曲3分というヒット曲用の枠をはずし、6分〜7分という長さにしたり、1分にも満たない曲を作ったりしている。もちろん、"AQUALUNG"は、イアン・アンダーソンの手による作品が並ぶ。ただ、タイトル曲"AQUALUNG"は、彼の奥さんジェニー・アンダーソンとの協作。もちろん、このアルバムのメイン曲である。そのことは、SIDE 1を"AQUALUNG"、SIDE 2を"MY GOD"としていることからわかるが、ただ、どうも「神」について表現したアルバムのような気はするが、肯定しているのか否定しているのかは日本人の私には分かりかねる。
このアルバムの翌年、JETHRO TULLは"THICK AS A BRICK"というアルバムA面B面通して1曲という大作を作った。しかも、ジェラルド・ボストーク少年の詩に曲を付けたということで。さらに、少年の詩の受賞記事の新聞を作り上げて。中には、クイズ欄まで入れた新聞をジャケットにした。しかも、タブロイド版で、下を折ってジャケットサイズにして。邦盤タイトルは「ジェラルドの汚れなき世界」。う〜ん、考えさせられるな。ちなみに、JETHRO TULLというのは、イギリスの17世紀から18世紀にかけて実在した農学者で、バラマキよりも何列も列を作ってまいた方がいいとか、種まき機械を発明したり、良種の選択の重要性を指摘するなど行った人だそうです。
TO JETHRO TULLl