『入院 〜鎖骨骨折〜』(10/3)
 平成18年10月1日日曜日11時50分頃。帝釈天へのサイクリングの帰り、守谷のメヒコ付近でフロントが滑り転倒。舗装面に右肩を強打し、頭もあたった。吹っ飛んだメガネと携帯電話を拾い、起き上がって頭を触るとたんこぶが出来てるが血は出てない。でも、左肩が身体の中心に少し寄ってる。『あ〜、鎖骨いっちゃったなぁ。』と落ち込む。それでも、病院に行かなきゃしょうがないので、妻に電話し、『鎖骨折っちゃったんで、病院に行くから、病院に来て。』と伝えて歩き出したけど、自転車には乗れず、100メートルも歩くと疲れてしまい、結局とんQに迎えに来てもらう。そういえばここはパンクしたとき(ブログ8月10日)に迎えに来てもらった所だっけ。ここで待ってると目の前にも病院があった。でも、ここには来たことがないので、やっぱりいつもの病院がいいかと思い、迎えに来るのを待ってたけど、結構辛かった。
 緊急で病院に行くと担当医が『服を脱いでください。』というので、ベストは脱ぎ易いけど長袖のTシャツは脱ぎずらい。『切っちゃってください。』と云うと、『勿体ないよ。』と脱ぐのを待ってる。何とか脱いで何枚かのレントゲン写真を撮り、CTスキャンをして戻ると、今日の担当医が脳外科だったので、頭の方はレントゲンとCTスキャンで異常ないと云われたが、肩の方はレントゲンを見ながら、『よくはわからないけど、骨折ともしかしたら脱臼もしてるかもしれないね。明日もう一度きて、整形外科で診てもらいなさい。手術になるかもしれないね。でも、ただの骨折だから大丈夫。明日また来てね。』と明るく云う。『えっ?このまま帰るの?』『三角巾とか欲しいんですけど。』というと、『そうだね。』と両肩を広げるベルトを付けてくれて、三角巾も腕に巻いてくれた。これなら病院に来た甲斐がある。家に帰り、只々じっとしてる。
 翌2日(月)。ぐっすり寝て朝を迎える。早めに病院に行き受付を済ますと、2番目をゲット。レントゲンをこの日も撮り、それを見て『あ〜、手術だな。このままでもくっ付くけど、肩の回りや重いのを両手で持つのがうまく出来なくなるよ。』というのだが、もともと手術だと思ってたので、『手術でお願いします。』と頼む。すると、『早いほうがいい?』と聞くので、もちろん『はい』と答える。すると、『3日入院、4日手術でどう?』というので、もちろんOK。
 3日(火)昨夜もぐっすり寝たのだが、起きるときが相変わらずめちゃくちゃ痛い。病院で聴くCDと本を持って入院。8人部屋で、奥に二人、入り口左側に一人居てボクが4人目。ドアのすぐ右手のベッドを住処とした。今日は入れ替わり立ち代り明日の手術の説明を受ける。特に手術の看護士さんは懇切丁寧に、『マスクを付けたらゆっくり深呼吸をしてください。それから麻酔薬を点滴に入れます。濃いので少し痛いですが、すぐに眠ってしまいます。手術が終わったら麻酔が解けるのを確認するのに名前とか聞きますので、返事してください。』などと説明をしてくれて受け、最後に『好きな音楽ありますか?サザンとかエンヤとか。』と聞くので、『エンヤなら持って来てるよ。』と言うと、『CD?MD?CDなら好きなのを選んで明日までに看護士に渡してくれればそれをかけますよ。』というので、その日は一生懸命何がいいか考えた結果、執刀医の先生も麻酔の先生も聴くんじゃ・・・ということでエンヤにしました。イーノも悩んだんだけど、やっぱりやめたのさ。そのうち、腕の除毛をする。すごいねぇ〜今は。薬を塗ってタオルで拭き取るとすっかり毛が取れちゃんだねぇ。いやぁ〜驚いた。除毛したのも初めてだけど、この日初めて点滴もやった。右手に針を射し、これで両手の自由がもがれたのだ。顔が自力で洗えなくなった。手を洗うのも両手で出来なくなった。前のベッドに居る中村さんがいろいろ面倒を見てくれて、いろんなことも教えてくれた。
 4日(水)病院のベッドでも良く眠れる。手術の日。時間はよくわからないが、とにかく午後だという。11時頃に『午後1時30分予定です。』と看護婦さんに言われると、なんか緊張はするは、昨夜から何も食べてないのでお腹もすくはで、困ったものだ。時間どおり1時30分に病室を出る。手術室に入り、マスクを充てられ、深呼吸を何回かすると麻酔担当の人が『麻酔薬を入れます。』と言ったと思ったら、『ワイルド・チャイルド』が流れてきてが、ほんの2小節くらいしか記憶にない。目が覚めたときは、目の前に先生たちの顔があり、『終わったんですか?』と聞いたら、終わったという返事があり、『あ〜、終わったんだ。』と初めて手術が終わったのを実感した。手術は予定した時間どおりにことが進んだようで、3時30分には手術室を出たらしい。手術室を出て、レントゲン室でレントゲン写真を撮り、ナースス



テーションの隣の部屋に行く。ここはHCUという部屋らしい。ICUの一歩手前という意味なんだろか?執刀してくれた先生も様子を見に来てくれて、レントゲン写真を見せてくれた。『ボルトは6本ですか?』と聞いたら、『横にも入ってるから7本です。』と返事があった。『グー、パーして』というので手を動かすと、『痺れてない?』と聞いてきた。『痺れていない。』と云うと、『腕も上下に少し動かしてね。』といって部屋を出て行った。腕を動かしてみたが、思うようにはいかない。まだ麻酔が抜けきっていないようで、ぼやぁ〜っとしていたのだが、そのうち寝てしまった。ところが夜中に奥のほうでおばあさんらしき人が点滴を無理やりはずしちゃったようで、看護婦さんたちが大騒ぎ。夜中の11時頃と看護婦さんが教えてくれた。なんだろう?思っていたら、そのおばあさんはその後も騒ぎ続け、ボクは眠いのに眠れないし、傷口を冷やす氷枕も重くて痛いし、腰は痛いしで、1時間おきくらいに看護婦さんに面倒見てもらっていた。看護婦さんも『眠れなくてかわいそうね。』と同情してくれて、『早めに部屋に戻しますから。』と云ってくれ、午前5時15分に入院したときの306号室に復帰し、やっと眠れた。が、起床時間の6時には目覚めてしまった。
 5日(木)手術が終わってしまえば、ほぼ30時間ぶりに食事が出来た。なにより、なにより。一日中ベッドで過ごしてるから、眠くなると寝てしまう。それでも夜は9時になるとまた寝ちゃうんだから人間てたいしたもんだ。妻も毎日毎日仕事と家と病院の往復で大変だ。ひたすら感謝!
 6日(金)今日から本格的にリハビリを開始する。思うように腕が動かない。筋肉の衰えや動かさないでいたため筋肉が硬直してるのと、恐怖心らしい。『鎖骨ってつないじゃえばリハビリなんて要らないんだと思ってた。』というと、『それは甘い。肩を動かすのに10個くらいの骨を動かすんだけど、そのうちの3つくらいを鎖骨が担当してて、さらに筋肉も肩甲骨の方からとか肩に集まってきてるし、鎖骨自体が微妙な動きをする。』だから、リハビリはやらなくちゃだめだということらしい。実際、リハビリの先生の指導がないと腕はまったく動かせなかった。
 右手に点滴、左手に三角巾、心に・・・と沢田研二の『サムライ』のような状態なので、歯磨きの漱ぎも洗顔も点滴の針が痛いのでいい加減になる。だから毎日夜は妻に顔を洗ってもらってた。
  夜に点滴が終わって、右手が自由になった。
 7日(土)昨晩右手がフリーになったので、歯を磨いて口をすすぐのが今までより遥かに楽に出来るようになった。
 8日(日)やっぱりベッドで横になってないと疲れる。で、一日中ベッドの上で生活してるのだが、今日は午前中CDを聴いてて、午後はF-1鈴鹿GP、テニスのジャパンオープン。夜はヒーローズをずっと見た。入院中の最長TV視聴記録だ!
 9日(月)今日は『体育の日』。どうも10月10日じゃないとピンとこない。祝日のためリハビリもなく、ほとんどベッドの上で過ごしてた。
10日(火)みっちりリハビリをした。肩は動かないは、力はないはで、もうグズグズ状態。

この後は、リハビリと切開口の消毒をする生活。
運動不足なので、病院の周りを散歩するようにした。
5分も歩くと疲れてしまった。
『こりゃ、あかん!』と隣の部屋の森山君も誘って散歩する。

鈴木君がヘンテコなカメラをくれた。
ソ連製で箱にはSMENA8μと書いてあるんだけど、ボディは8Mなんだよなぁ。
ミューでもエムでもかまわないんかねぇ〜。おおらかやねぇ。
性能は、フィルム手動装填、シャッタースピードB〜250/1、焦点距離1m〜∞、F値4〜16、セルフタイマー有るけど無意味、ストロボシュー有り、ソフトケース付き、箱付き、取説付きでもロシア語
撮影してみたので、作品は後日。

で、19日(木)にリハビリをやって、午後退院した。

半年後にボルトを抜く予定。